すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

成功と失敗

私の人生なんてちっぽけなもので、日常の価値の成功体験は些細すぎて無いもののように感じてしまう。

スナック菓子のようにすぐ消えてしまうような存在だ。それなのに失敗したとなるとその原因になったものを手当たり次第捨てたくなるほど辛い。見ることさえ恐ろしくてその場から逃げ出したくなるほど怖い。私は人より嫌いなものが多いだろうが、自分の失敗にはただならぬ嫌悪感を抱く。身体に悪いものを食べたように胃痛を感じて、胸の辺りの異物感と呼吸の通り道がふさがれたような苦しみを感じる。この嫌いは単なる趣向の粋を超えたものになっているような気がする。

大した成功も得られず、単なる失敗が重度のダメージになるくらいならもう何もしたくないというのは自然なことではないだろうか。本当に何もしたくない。腰痛ことを思うとそれがいいのかもしれないが、私は失敗した自分という存在からも逃げたいのだ。そもそもこの腰痛がなければ立ち仕事のトラブルが起こる必要もなかっただろうことが悲しい。私はいつまで自分と関わらなくてはいけないのだろう。

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