先のない人間の道楽
私は何を好きになればよかったのだろう。今の私には手につけられる仕事も趣味もない。なんのために生きているのかという無価値観をただを持て余している。
昔初めてうつ状態の診断をされたとき、ネットにそのことを書いたところ生産性のあるものをやれと掲示板の誰かに言われたが、自己嫌悪が先回り自分の存在が何処かに残ることを恐れていた私には難しい話だった。自分が作ったものに頭の中で架空の罵倒をされることは幸せなことではない。
不思議なことに子供の頃から何も続かない性分で、チュートリアルのように楽しめる範囲だけやっては、つまずきがあると飽きてしまう。この様子を親は嫌い、だんだん私もそのことを学習すると、親からは進行度が見えないゲームをひたすらやっていた。
しかしこの歳になるとそのゲームへの熱意さえ消え失せてしまった。ただ単に配布ポケモンの為に映画見たり遠征することを考えたり、未来がある前提の人間に向けられたシナリオを見る気がすっかりなくなってしまったのが理由である。アクションゲームをやれる器用さもない。ゲームをしている人間を怠けているという者もいるがゲームができるというゆとりや能力は素晴らしい価値なのだろう。
しかしそんな私でも簡単なタップゲーだけはまだやる事ができるので気が向くとペンギンに触れている。言葉もない世界には私にはとても優しく感じるのだ。