すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

綺麗事が許せない

私が作品を楽しむ上で支障をきたす理由には、中身のない綺麗事に気持ち悪さを抱くからだと思う。そういうルールだから、そう言ってたからを物語上でされると何を言っているんだ?という気持ちになる。

私は行動や発言の動機がストーリーや境遇に絡んでいると説明されないと聞いていてイライラしてしまうのだ。とくに何も不幸がなくなんとなくで動かれるとモヤモヤしてしまう。宗教にも説得力に掛けたように感じる。これは宗教のある地に生まれ育ってないことが理由だろう。

そして私は無宗教だが、金持ちが日々の幸せを祝い感謝する信仰と貧民が救いを求める信仰の前者側を、貧民に求めるようなことをされたので、私は前者のような物乞いならぬ気持ち乞いを許せないのである。けして祀られてる神や仏に対して文句を言いたいのではなく、神の定めた人間像のようなものを作って押し付けてくる人が嫌いなのだ。

まぁ正直に言うと親のことではある。母は二世であるが、染み付いたキリスト圏の思考は本当に隣人しか愛せなくしてしまったらしい。他の宗教周りの話なんて、昔にいた解離がある旧同級生がカトリックとか、某絵本作家親族が教会をやっていたとか、旧同級生がキリスト系の学校に行ったら教師から貴方が障害者やめるなら虐げるよ、私は貴方が障害者だから優しくしてるんだという想像の斜め上な話を聞かされたくらいだ。

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