すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

大人になる貧困

ポケットモンスター青をなんとなく駄菓子屋で200円で買ったのが私のはじめてのポケモンだった。しばらくして周りでどうぶつの森がブレイクし、DSを手に入れた。ダイヤモンド・パールが売られたので近くのちびっこが総じてダイヤモンドを選ぶので私はパールを買った。

そんなポケモンが今は気づけばスマホに参入。基本無料で楽しめて、キャラクター重視での商品も出しているらしい。しかし大人になった今、私はポケモンが出来なくなってしまった。知らないうちに厳選作業は楽になったらしいとはいえ時間がないのもあるが、シナリオが苦手になってしまったのだ。

私の人生は順風満帆とは言えない。舵は破壊され、帆も折れていたところを他の船に引いてもらうことで生かしてもらえる状況である。そんな状況で夢やら現実やらを子供に語る作品に耐えられなくなってしまったのである。プリキュアやディズニーを見ることが出来ない虚しい大人になってしまったのだ。

これはメタ的な話ではあるが、ポケモンは世界的なゲームであるし、今や黒人も白人もいる。ポケモン達も人の手伝いはするし、マダドガスさえ清浄な空気を出して世に貢献しないといけないらしい。秘伝マシンなんて使わなくても出来るのは当然になったらしい。こういうところからこの世のすべての人間は役に立たないと生きていてはいけないというメッセージをひしひしと感じる。娯楽を娯楽として教授することさえ私には出来ないのである。

これは様々なところで当てはまるだろう。なんでも被害者や当事者の立場になれば笑う側には立てなくなる。フェミニストやら障害者やらLGBTなどでもありそうな話なのだ。私はだからポケモンのキャラクターを健常者と呼んでわからず屋を見るような目で見るようになってしまった。内容が人や自分や社会を漠然と信用している感性への問題提起なので、人に話すと統合失調症といわれたのだが、自分でもこの価値観には苦しんでいる。大衆にある娯楽が面白くないなど、娯楽の貧困に等しい。

いじめを受けたからかもしれない。医者に怒鳴られたからかもしれない。だけど一番はダブルバインドという矛盾した会話が多く、相手の意図を組んでも組んでも叱られる母との生活が私のあらゆる言葉への価値観を破壊してしまったのである。私の話を聞いた人は認知行動療法を勧めるだろう。しかし私はもう貴方のままでは駄目というメッセージにほとほと疲れてしまったのだ。