すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

はずれ者

今日見つけた炎上は人生無理バーだった。酒に弱い私はバーにもひとつも行ったことのないので内情は知る由もない。しかしこの増田の話を聞いていると案外身近な問題に感じてくるのだ。

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私は本当に無理な層に片足突っ込んでいると自称しながら両足は間違いなく入っているタチの悪い人間である。人は兎にも角にも自分を脅かしてくるという前提が身に染みてしまうと持ち直し方がわからなくなる。親切だろうと正論だろうと自分が駄目だと指摘され否定されることが徹底的に駄目になる。手足が痺れて立てなくなったり息苦しくなったりで人間をやることが無理になるようになった。そんな人間にとって助けとは何なのだろうかというのは精神疾患を患ってからの悩みである。

パニックというものがあるせいで勉強はさっぱりになってしまった。就労支援施設に通おうとしたら職員からパワハラを受け(圧迫面接だったりwikiにもgoogleにも存在しない単語をまとめ上げてワードで記事を作れと課題を出して失敗させて連帯責任だと責め立てられる)施設全体が怖くなった。

そうなるとその後は働くことはさておき、社会に近づく為に通える場所が目標になる。そして選んだのが精神科デイケアだった。発達障害デイケアは「発達障害は失言で傷つけ合うから〇〇さんみたいな繊細な子には合っていないよ」と言われて選んだ。しかしこのデイケアは「医者が初診から怒鳴りつけ病院のレビューが医者からの暴言という理由だけで星1が付き続けデイケアの人間は医師の元に通わなくてはならない超ブラック病院」であったことからデイケアには通うものの受診の時期が近づくと悪化するというわけのわからぬ状態に陥ったのでやめることとなった。

そして最後に行ったのは市でやっている障害者のフリースペースだった。そこで私が見たものは「自分が持っているクレカとかアルバムとかフェイスブックのアルバムを長時間自慢してくるおじさん」とそれを「我慢して」と言う職員だった。

それから私は社会に出れる場所という場所を探す気力もなくなり従来の病院以外の行き場も失っている。結婚はしているけれど、この状態のままでいいんだか、改善しようとして手足が痺れる以上の症状が増えて寝たきりになるリスクも恐ろしく感じてでなんだか書いてきて段々と鬱屈としてきた。社会にとっての正解になる方法も、パニックならないように律することもどうして出来ないんだろう。

戻れない価値観

他人が他人だった頃に戻りたい。自意識過剰だと馬鹿にされる前の、他人はそんなに人のことを見てないって言葉が信じられそうな頃に戻りたい。他人はいつだって他人を会話の道具に利用する。笑い話にも悪口にも人は人を利用する。芸能人でなくなって利用されるのだ。芸能人も尊重すべきという話はあるが、そもそも一般人だって尊重されているわけではない。顔を見せる範囲が広いから広まったのであって比率としてはそう変わらないものであるような気がしてしまう。

私は人が恐ろしくなってしまった。たぶん幼稚園くらいの頃はそこまで酷くなかったかもしれない。でも小学生くらいからどんどん人が恐ろしくなってきた。学校という他人の吹き溜まりが、やれクラスメイトだの友達だのというせいで、ただの子供であるものが心優しい人間なのだとボケたか、加害者側だった人間による思い込みを押し付けられたせいで、平和が崩れていった。私という存在はただただ壊されていった。

人は大切にしなければならないと人は言うのに、周りのものは別に私を大切にするわけではない。体育という存在は運動神経の悪いものの人権を奪う。人からいなければよかった存在だと言われ、所属する行為に対して恐怖を植え付けられる。なのに大人たちはあそこが私の居場所だという。その場所で私は否定しかされないのに。まるで私が否定されることを当然だと受け入れろと言わんばかりに、否定してる側に大人達全員がなる。怖い。怖い。頭が真っ白になる。恐れない方法がわからない。何が大丈夫なのかわからない。自分が駄目なんだって思い出す事が怖くなっていく。駄目なら虐げられても当たり前だから駄目だってことを隠さなきゃいけなくなる。だけど私は駄目な存在だから私という存在ごと世界から隠さなくてはならない。だからどうしようもなく人が怖い。

上書きしたいのにできない

家にいてもどうしようもなくイライラする。だけど外に行ったところで何もいいことはありやしないというのもわかっていて息苦しい。嫌な記憶は別の物事で上書きすればいいなんて話はあるけども、上書きするはずが汚い記憶の上に汚い記憶が重なっていくばかりで辛い。そんな汚い記憶から現実逃避したいのに、逃避したい世界さえどんなものだったのがわからなくなっていく。現実から、あるべきという概念から離れた不快のないものに浸りたい。そんな漠然としたものがあるはずもなく、ただただ不快感が積もり積もっていく。

インターネットの海を彷徨っても居所のような場所はあるわけでもない。最近はゲームをしていたけれどとうとう指の関節が痛みだした。だけどネットをしないと私にはみじめな現実以外が何も存在しない。この感覚からどうしたら逃げられるんだろう。

いらなかった

私はカウンセリングを何度かしたことがある。青少年相談センターのカウンセラーはカウンセリング時は穏やかだったのに、一人目は突然豹変して怒鳴ってきた。ただの予定決めだったと思う。怖くなって会わなくなった。母は私に失礼な人だと言った。二人目はストレスの原因になっている人間を庇った。どうして母と同じように私の話を聞いている人間が顔も見ていない私に悪口を言ってきた相手を庇うのだろうと信じられなかった。私には味方が誰もいないんだと思った。カウンセリングに通うことをやめたらまた母親に話を聞いてもらっているのに失礼な人だと言われた。

高校ではスクールカウンセラーと関わることになっていた。だけど結局いいことはなかった。覚えている言葉は「あの母親でなかったら貴方は捨てられていた」ということだった。卒業後、スクールカウンセラーから持ちかけられてお金を払ってカウンセリングに通っていたら「貴方はよくならないからもう来ないで」と匙を投げられた。ここまで誰一人、私の家庭の異常性には気が付かなかった。ただただ私が駄目な人間だというレッテルと捨てられるような存在だという現実が増えただけだった。私はただの相手の自己満足の為に通っていたのだ。だけど私から辞めたらきっと母は、また私を我儘な人間だとか自己中な人間だとか言い出したことだろう。

あの後私はまた別の機関のカウンセラーを紹介されたが、嫌わないようにしなきゃいけない、怖がらないようにしなきゃいけない、人を好きにならなきゃいけないという強迫概念から人と話すことに完璧主義になってしまい話すどころではなくなってしまった。

あれから私は病院では医師と話して薬を貰うだけになっている。医療の失敗は悪化の元だということを私も医師も知っているからだ。この最低限家事を回している状態だけでも維持していこうという形になった。医師は私ほど長く関わっている人はいないという。一度転院した先が同じ病院で看護師いじめをしていた医師だったことや、学校付近の病院で他の生徒からも学校の惨状を聞いていたなどで気を遣ってもらっているのだ。しかし私は医師の期待の通りに治るということが想像出来ない。悪い事実を良い事実で埋めようとしてもまた悪い事実が積み重なる一方だったからだ。私自身の欲求が多すぎるのかと考えたことはある。だけどあれからというものの、まず怒鳴らない人間というものにさえ遭遇出来なかったのだ。

欠けた家庭

私は母方の祖母も母も憎い。しかし母の兄弟には同情心さえ湧いている。叔父も叔母も独り身で、どちらも精神を病んでいる。叔父はずっと兄弟の親代わりのように生きてきたようだった。父が結婚をするために挨拶へ赴いた時も応答したのはすべて叔父だったそうだ。私も祖母からは聖書を読む声以外を聞いたことがない。祖父もまた肺を悪くして一言も喋ることはなかった。叔父はとても優しかった。私の祖父代わりまで担ってくれていたのだ。

叔母は人の悪口ばかり言っていたそうだが、宗教を見て人の現実を全く見ないような母の性分からして祖母も叔母に同じ育児の失敗をしたのだろうと思う。母はそんな叔母を見下していたし、見下していたわりには家族の悪口だけはたっぷりと言っていた。たまに嫌味のように私に叔母に似ているとも言っていた。隣人を愛せの言葉には同じ屋根の下の人間は入らないのだ。キリストだって母子家庭だ。他の家庭の方が宛になることもあっただろう。だから私はキリスト自体は何も悪くはないのだと思う。しかし広めた人間はきっとあらゆる家庭の愛情を捨てさせた。少なくとも祖母の家系にはあらゆる病を残していったのだ。私には疾患があるが、叔父も同じ診断を受けている。あんな家庭にいたらそうもなるだろうと思うとあまり病に対してはしっくりと来てしまった。むしろ病に掛かっていないフリをする清貧ぶったモンスターはどうして生まれてしまったのかあまり理解が出来ない。

毒母が昔、私の親は育児に飽きていると言っていた。しかし後々になって考えると最初から育児にやる気なんて起きなかったのではないかと思う。宗教や世間などの規範でしか生きていないのだ。最近も子供に自分の育児を任せる事件が起きたばかりだった。生活能力に限界があり、子ども手当目的で産んでいることが想像出来る。一旦バランスを崩された家庭というのは一体どうしたらいいものだろうと悩む。隣人は所詮は隣人の中の家庭を愛しているのだ。それを奪おうとしても代わりにさえならないだろうし隣人の家庭が崩壊するだけだ。

だから私は奪われることも、見返りを求めて与えられることも怖い。私にはもう人と取り引き出来る余裕はないのだ。

私は何で頭を満たせばいい

怒られたくない。夫はそんな気持ちを「ただ面倒臭がっているだけ、やる気があればやっていたはず」そう言った。私はその気持ちがわからなかった。やる気があったら辛いことまで我慢しなくてはならない前提が何一つわからないのだ。

 

笑われるとか怒られるとか、そういうことを気にしなくていい感性がわからない。笑う人間とか怒ってくる人間をその場から追い出さない限り、また攻撃をされるのに、攻撃されながらでもやる気があれば出来るという謎の原理が全くわからない。なんで私を攻撃してくる奴はそのままでよくて、私ばかりが変わることを求められるんだろう。私自身が攻撃出来ればよかったのか、だけどそんなことをしたって誰も私の味方にはなってくれない。私がいつだって責められる。私を馬鹿にするような人間に許すような価値があることが許せない。私はそんなにどうだっていい存在なんだろうか。こんなに人を馬鹿にして笑っている人間の方が私より価値があるの?こんな人間より価値のない私はどこまで価値がないんだろう。

そもそもなんで私は攻撃しちゃいけないんだっけ?そうだそうすると結局家が敵になるからだ。外を凌いでもそれだけ家で報復される。どこにいても敵だらけ。他の誰かがみんな大切で、私は大切にされなくて、そんな外で私はどうやって息を出来たんだろう。父は母の絶対の味方だった。私も婚姻感駅を結ぶ唯一無二の関係性さえ作れば優しくされるのだろうか。だけどそれ以外の人間関係はどうしようもなく怖い。私はどうしたらよかったんだろう。そんなことが頭を巡っていた。

 

こんな話を夫にしてもまたかと言わんばかりに面倒臭く思われるだろうし、きっと私は夫の強さからくる感性というか前提のようなものがある理論をあまり理解出来ないだろう。そして話したからって何が解決することもない。私は世間にとっていくら傷つけてもいいような存在なことには変わらない。外に居場所なんてない。発達障害とかHSPとかアダルトチルドレンとか、そういう名前をいくらつけても嗅ぎつけたように搾取する人間が寄ってくるだけだ。また逃避をしなくてはいけない。だけど私はもう何を見て何に思いを馳せればいいのだろう。三次元だろうと二次元だろうと、この世はすべて社会とのすり合わせの話をしているような、ただ私が不正解なのだという説明しかしていない気がする。

どうして

私は学校で酷い目にあった。それから私は声の大きい女性とかバカ笑いする女性が怖くなった。そんなふざけた人間に居場所を与えている人間のことも嫌いになった。ニュースを見ていると私が嫌っていたような身なりの女が児童虐待で逮捕されている。そんな事件が一人だけではなく何人も報道される。

いじめの被害者ばかりを責め立てて加害者をそのまま許して居場所を与えてるから、結局は弱いものいじめすることだけ学習して自分が生んだ子供を傷つけて最終的に犯罪者になったんだ。どうして犯罪者にこの国は居場所を与えたんだろう。私じゃなくて犯罪者達に。