すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

いらなかった

私はカウンセリングを何度かしたことがある。青少年相談センターのカウンセラーはカウンセリング時は穏やかだったのに、一人目は突然豹変して怒鳴ってきた。ただの予定決めだったと思う。怖くなって会わなくなった。母は私に失礼な人だと言った。二人目はストレスの原因になっている人間を庇った。どうして母と同じように私の話を聞いている人間が顔も見ていない私に悪口を言ってきた相手を庇うのだろうと信じられなかった。私には味方が誰もいないんだと思った。カウンセリングに通うことをやめたらまた母親に話を聞いてもらっているのに失礼な人だと言われた。

高校ではスクールカウンセラーと関わることになっていた。だけど結局いいことはなかった。覚えている言葉は「あの母親でなかったら貴方は捨てられていた」ということだった。卒業後、スクールカウンセラーから持ちかけられてお金を払ってカウンセリングに通っていたら「貴方はよくならないからもう来ないで」と匙を投げられた。ここまで誰一人、私の家庭の異常性には気が付かなかった。ただただ私が駄目な人間だというレッテルと捨てられるような存在だという現実が増えただけだった。私はただの相手の自己満足の為に通っていたのだ。だけど私から辞めたらきっと母は、また私を我儘な人間だとか自己中な人間だとか言い出したことだろう。

あの後私はまた別の機関のカウンセラーを紹介されたが、嫌わないようにしなきゃいけない、怖がらないようにしなきゃいけない、人を好きにならなきゃいけないという強迫概念から人と話すことに完璧主義になってしまい話すどころではなくなってしまった。

あれから私は病院では医師と話して薬を貰うだけになっている。医療の失敗は悪化の元だということを私も医師も知っているからだ。この最低限家事を回している状態だけでも維持していこうという形になった。医師は私ほど長く関わっている人はいないという。一度転院した先が同じ病院で看護師いじめをしていた医師だったことや、学校付近の病院で他の生徒からも学校の惨状を聞いていたなどで気を遣ってもらっているのだ。しかし私は医師の期待の通りに治るということが想像出来ない。悪い事実を良い事実で埋めようとしてもまた悪い事実が積み重なる一方だったからだ。私自身の欲求が多すぎるのかと考えたことはある。だけどあれからというものの、まず怒鳴らない人間というものにさえ遭遇出来なかったのだ。