すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

欠けた家庭

私は母方の祖母も母も憎い。しかし母の兄弟には同情心さえ湧いている。叔父も叔母も独り身で、どちらも精神を病んでいる。叔父はずっと兄弟の親代わりのように生きてきたようだった。父が結婚をするために挨拶へ赴いた時も応答したのはすべて叔父だったそうだ。私も祖母からは聖書を読む声以外を聞いたことがない。祖父もまた肺を悪くして一言も喋ることはなかった。叔父はとても優しかった。私の祖父代わりまで担ってくれていたのだ。

叔母は人の悪口ばかり言っていたそうだが、宗教を見て人の現実を全く見ないような母の性分からして祖母も叔母に同じ育児の失敗をしたのだろうと思う。母はそんな叔母を見下していたし、見下していたわりには家族の悪口だけはたっぷりと言っていた。たまに嫌味のように私に叔母に似ているとも言っていた。隣人を愛せの言葉には同じ屋根の下の人間は入らないのだ。キリストだって母子家庭だ。他の家庭の方が宛になることもあっただろう。だから私はキリスト自体は何も悪くはないのだと思う。しかし広めた人間はきっとあらゆる家庭の愛情を捨てさせた。少なくとも祖母の家系にはあらゆる病を残していったのだ。私には疾患があるが、叔父も同じ診断を受けている。あんな家庭にいたらそうもなるだろうと思うとあまり病に対してはしっくりと来てしまった。むしろ病に掛かっていないフリをする清貧ぶったモンスターはどうして生まれてしまったのかあまり理解が出来ない。

毒母が昔、私の親は育児に飽きていると言っていた。しかし後々になって考えると最初から育児にやる気なんて起きなかったのではないかと思う。宗教や世間などの規範でしか生きていないのだ。最近も子供に自分の育児を任せる事件が起きたばかりだった。生活能力に限界があり、子ども手当目的で産んでいることが想像出来る。一旦バランスを崩された家庭というのは一体どうしたらいいものだろうと悩む。隣人は所詮は隣人の中の家庭を愛しているのだ。それを奪おうとしても代わりにさえならないだろうし隣人の家庭が崩壊するだけだ。

だから私は奪われることも、見返りを求めて与えられることも怖い。私にはもう人と取り引き出来る余裕はないのだ。