すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

私は何で頭を満たせばいい

怒られたくない。夫はそんな気持ちを「ただ面倒臭がっているだけ、やる気があればやっていたはず」そう言った。私はその気持ちがわからなかった。やる気があったら辛いことまで我慢しなくてはならない前提が何一つわからないのだ。

 

笑われるとか怒られるとか、そういうことを気にしなくていい感性がわからない。笑う人間とか怒ってくる人間をその場から追い出さない限り、また攻撃をされるのに、攻撃されながらでもやる気があれば出来るという謎の原理が全くわからない。なんで私を攻撃してくる奴はそのままでよくて、私ばかりが変わることを求められるんだろう。私自身が攻撃出来ればよかったのか、だけどそんなことをしたって誰も私の味方にはなってくれない。私がいつだって責められる。私を馬鹿にするような人間に許すような価値があることが許せない。私はそんなにどうだっていい存在なんだろうか。こんなに人を馬鹿にして笑っている人間の方が私より価値があるの?こんな人間より価値のない私はどこまで価値がないんだろう。

そもそもなんで私は攻撃しちゃいけないんだっけ?そうだそうすると結局家が敵になるからだ。外を凌いでもそれだけ家で報復される。どこにいても敵だらけ。他の誰かがみんな大切で、私は大切にされなくて、そんな外で私はどうやって息を出来たんだろう。父は母の絶対の味方だった。私も婚姻感駅を結ぶ唯一無二の関係性さえ作れば優しくされるのだろうか。だけどそれ以外の人間関係はどうしようもなく怖い。私はどうしたらよかったんだろう。そんなことが頭を巡っていた。

 

こんな話を夫にしてもまたかと言わんばかりに面倒臭く思われるだろうし、きっと私は夫の強さからくる感性というか前提のようなものがある理論をあまり理解出来ないだろう。そして話したからって何が解決することもない。私は世間にとっていくら傷つけてもいいような存在なことには変わらない。外に居場所なんてない。発達障害とかHSPとかアダルトチルドレンとか、そういう名前をいくらつけても嗅ぎつけたように搾取する人間が寄ってくるだけだ。また逃避をしなくてはいけない。だけど私はもう何を見て何に思いを馳せればいいのだろう。三次元だろうと二次元だろうと、この世はすべて社会とのすり合わせの話をしているような、ただ私が不正解なのだという説明しかしていない気がする。