すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

戻れない価値観

他人が他人だった頃に戻りたい。自意識過剰だと馬鹿にされる前の、他人はそんなに人のことを見てないって言葉が信じられそうな頃に戻りたい。他人はいつだって他人を会話の道具に利用する。笑い話にも悪口にも人は人を利用する。芸能人でなくなって利用されるのだ。芸能人も尊重すべきという話はあるが、そもそも一般人だって尊重されているわけではない。顔を見せる範囲が広いから広まったのであって比率としてはそう変わらないものであるような気がしてしまう。

私は人が恐ろしくなってしまった。たぶん幼稚園くらいの頃はそこまで酷くなかったかもしれない。でも小学生くらいからどんどん人が恐ろしくなってきた。学校という他人の吹き溜まりが、やれクラスメイトだの友達だのというせいで、ただの子供であるものが心優しい人間なのだとボケたか、加害者側だった人間による思い込みを押し付けられたせいで、平和が崩れていった。私という存在はただただ壊されていった。

人は大切にしなければならないと人は言うのに、周りのものは別に私を大切にするわけではない。体育という存在は運動神経の悪いものの人権を奪う。人からいなければよかった存在だと言われ、所属する行為に対して恐怖を植え付けられる。なのに大人たちはあそこが私の居場所だという。その場所で私は否定しかされないのに。まるで私が否定されることを当然だと受け入れろと言わんばかりに、否定してる側に大人達全員がなる。怖い。怖い。頭が真っ白になる。恐れない方法がわからない。何が大丈夫なのかわからない。自分が駄目なんだって思い出す事が怖くなっていく。駄目なら虐げられても当たり前だから駄目だってことを隠さなきゃいけなくなる。だけど私は駄目な存在だから私という存在ごと世界から隠さなくてはならない。だからどうしようもなく人が怖い。