すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

人類、もう明るさを求めるのやめませんか?

明るいかどうかというジャッジで人を傷つける意味ってなんだ

 

 

目黒虐待死事件が求刑18年になったらしい。長男の息子くんのことを考えると無期懲役でもいいくらいなのだが、日本の刑罰の歴史としては頑張った数字らしい。

目黒虐待死、父親に18年求刑 検察側「比類なく悪質」:朝日新聞デジタル

弁護側は「親であろうとした気持ちが虐待に繋がった」と言っていたらしく、そう聞いた者が嘘に決まっていると言っている。ここには深い溝があり、「誰に対して親であろうとしたのか」という認識が抜けている。読んだ人は当然、子供そのものに対しての気持ちと思うだろうが、過去の言葉から思うに子供に対してではなかったし、妻に対してでもなかったのだろう。体重に関して「数字しか気にしていなかった」という言葉が、子供を見ていなかったことを物語っている。子供の体重は乳児健診の指摘もあり、親にとって幼い頃はひやひやとさせるものもあるだろうが、現実的な体重の数字の範疇でないことを考えると「女の子は痩せているもの」程度の認識を当てはめようとしていたのではないのかと思う。

(現実的な体重の悩みについては下記のような記事がある)

www.nishinippon.co.jp

 

この犯人の中には強い家族の理想像があったのかもしれないと感じる。正直「感情のコントロールが出来ていなかった」なんて問題どころではなく、常識の次元の違いがあったものではないかと思う。仮に冷静にルールだけでも子供には確実に被害は及んでいたことだろう。子供をダイエットさせようと湯船につけたら溺死して死んでしまった事件を思いだすが、ルールを守ろうとしか考えてなく、その中身があまりになさすぎるように思う。

前回のこの事件を語った時にも言ったが、身内は理想の自分を作るための道具くらいにしか思っていないのである。道具なんて所詮は消耗品なので人の情けなどかけられるわけはない。言葉や志が高いほど身内は犠牲になる。

最後に「友達が多く、明るく可愛らしい子に育ってほしいと思っていました」というあまりに供述が母親っぽかったのでこれからは毒親のあだ名は被告人にしてもいいのだろうと思う。というよりもう人類は明るい子求めるのやめませんか?明るいの一言に(きっとこういう能力があるから)明るいんだという親の妄想があると全部やらなきゃいけなくなるんですよ。後ろ暗いこと(親によって容姿、点数、友達の数になる)が一点もない人生を送りなさいと言われ出したら、もう親が閻魔、この世は地獄同然なのです。だからもう、明るいことをステータスにすることをやめていきましょう。

 

アルテイシアさんの記事はどれもおすすめです

am-our.com

 

 

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