すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

10月9日、ここに世界一醜い親への手紙を書き残す

10(ド)月9(ク)ということで毒親に手紙を書きました。

せっかくなので公開しますが読んでも読まなくてもいいです。

 

 

 

手紙は送りません。気持ちが分かるように顔を合わせて話すべきって言いだすから。そういうわりには母が全く私の気持ちを分かろうとしてくれたことも、わかってくれたことも一度もありません。なぜなら理想の子供像に当て嵌まらない感情をゴミのようにしか扱ってこなかったからです。赤ちゃんの時代の表現力分も計算しても20年間程私は言うなり書くなりたとえ話をするなりして説明しようとしてきました。しかしその結果が貴方の心は闇ですねの一言で終わるのであれば、もう話が通じないと諦めるのは当然のことなのです。

 

顔を合わせて話が通じたことなんて、一度もありませんでした。母は私を責めるし、人格否定までしてくるし、怒れば投げてきてブラシは真っ二つにするし、泣き落としまでしてくる。正直母ほど性格の悪い人間を私は知りません。創作上の人物と比較してさえ、母ほど誰の望みもなく、社会と世間のルールだけ入れたロボットのような存在は見たことがありません。

親心なんて単語もありましたが、母ほど外面ばかり気にして身内を目の敵にするような出来事は、虐待事件の加害者くらいでしか見たことがありません。だから母は紛れもない虐待加害者なのだと思います。

なんで父じゃなくて母を責めるかわかります?私だけ責めてると思ってませんか?父も責めているんですよ。すぐキレるし、仕事場で過ごしっぱなしだし、何か励ましに来ても最後に言うことは母の機嫌を損ねないようにと言って終わりです。たしかに子供の頃は父も母もあまりに冷たいので、私は橋の下から拾われたのでは?そんな他人の私に食事をくれている2人は十分優しいのでは?と無理やり抑え込んできましたが、父はいざという時には味方になるような接し方をしてくれていました。しかし母といえば傷口をさらに傷つけるようなことしかやってきませんでしたよね?本当に人の血が流れているんですか?よくその口で人の気持ちを考えてなんて言えましたね。何より父は謝っているんですよ。母の「はいはい謝ればいいんでしょう謝ったから許せよ性格悪いゴミ女一生不幸でいろ」という態度と同じ対応をしてはあまりに失礼です。父に文句があるとすれば、母が会話できないような人間であることを仕事場でごまかさずに私にも伝えて欲しかったくらいのことです。

言ってきたことと言えば「何様のつもり?」という言葉がありましたが、父がどれだけ母のことに気を遣い、私への説教もことあるごとに母に迷惑をかけないように言ってきたのかを考えてみてください。その言葉は私ではなく母自身にかけるべき言葉だったのだと思います。

 

私が幼少期の頃にあった父のキレやすさや、その後の単身赴任と入学による環境変化、スパルタ路線の教師、進級後の生徒と一緒に私にメダカが死んだ責任を押し付けて責めたててきた教師など、様々なストレスがかかり続けた私に対して母が「貴方は頭がおかしいから病院に連れていく」なんて脅し文句をいうせいで、私は無理に装わなくてはならなくなりました。貴方がいい母親の姿でいることばかりに酔いしれているせいで、誰へのSOSも通じなくなりました。友達を作って自信を持ってと言いながら、誰よりも私の尊厳を奪ってきたのは紛れもなく母です。母ほど綺麗な言葉を並べながら誰の幸せも願っていない人間を見たことがありません。

絶縁する直前に幸せになってと送ってきましたが、その後夫や父に私の悪口をいいふらしたそうではないですか。本当に母はいい母親の自分を目的にやっていたのだなと思って改めて不気味に思いました。散々いい母親ぶるためのファッションアイテムのように人を利用して、恩や感謝をされるなんて思わないことです。

母に幸せになってほしいとは思っていません。そもそも母のような人間の幸せの形なんて私には想像もつきません。大人しく長崎の実家に入って聖書を人類だと思い込みだからマッチの灯を見て眠るように死ぬくらいしか方法がわかりません。なによりそう思う経路が私にはありません。母のように綺麗な自分を装う行為を私はしないので。

しかし望む不幸はあります。しかしそれは私が何かやろうとして出来ることではありません。母が家族に何の価値も感じていないのは十分理解しています。そしてもう勝手になっていくかもしれません。どっちに転んでも面白いので伝えおくと、せいぜいそのまま貧困の恐怖に苦しみながら老衰するか、いい人普通の人のプライドと家族を見下せるポジションを捨てて生活保護なり年金なりを申請することです。