日陰者
小町を見て私は2つのものを思い出した。それは鬼滅の台詞である「お前が存在しているとこの世の理が狂うのだ」というネットで見かける台詞とゴールデンカムイの尾形であった。どっちも兄ですね……
それは休日のイライラぶりを見かねた夫が外に連れ出してくれ、帰宅して落ち着いたことでまったりネットをしていた夜、VTuberによるポケモンのプレイ動画を見ていた時のことだった。そこにはジムリーダーのような立場の人が温かく主人公の未来や希望を讃えているシーンを見た。
そこには未来があり、希望があり、行く先があり、役割がある。日向の人々の物語があった。私はインターネットを見ていてるので現在のポケモンが「ヨクバリス!ヨクバリス!」という認識になっていた。楽しそうなので久々に色違いの厳選でもやろうかとポケモンの入手を考えていた。しかし動画でキャラの台詞を見た途端、ゴールデンカムイの尾形の「ああこれが両親から祝福されて生まれた子供なのだ……」というような虚しさに襲われ、すっかりやる気をなくしていた。黒人に配慮しようとLGBTに配慮しようと私のように社会のレールから外れた存在を受け入れてくれる場所など存在しないのだ(アカギに対するシロナの辛辣さを思い返すとDPからそういう雰囲気は出てました)
こういう感性なので女児物のキラキラした世界観や京アニの青春の甘酸っぱさを凝縮したようなストーリーが苦手である。学園物見れている人たちは劣等感をこじらせないのだろうか。性差がそこにはあるのかもしれない。私も脳死して女の子可愛いしながらワンクールに3作品くらいは見るものがある人生にしたかった。じゃあけいおんの放送していた2009年私は何を見ていたのかと思って調べたが、どうやらインターネット夢中だった季節らしくアニメは見てないらしい。ニコニコ動画と東方を見ている時代なのだと思う。
尾形の可愛い過去編はこちら
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