すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

嫌なことをやるのが辛い

やりたくないことをやらなくてはいけない。そういう状況が嫌いである。誰でもそうだろうが誰かがやってるからお前もやれと言われるのも嫌いである。その反面嫌いという感性を持つことさえ否定されてきた自分にとって、他の人も思っているから思うこと自体は間違っていないという安堵を得たい欲求もある。それはそれと安堵を糧にするわけでもなくやりたくないことには変わらないのである。

ADHDは先延ばしはするのに先延ばししている間もストレスに感じているという話を借金玉さんがしていたことがある。これは本当にそうで、私は予定があることにただならぬストレスを感じるので、予定があるなら出来ればすぐに片付けたくなるのだ。こういう話をしていると早く物事を終わらせたい父と適切なタイミングにこだわる母で父の休日はいつも険悪なムードだったのを思い出してさらに憂鬱になってくる。父ははやく待ち合わせ場所に到着したいのに母はこの時間がぴったりだと言い出して揉めるのだ。

問題はそのやりたくないことは時刻が決まっており、それまで待たなくてはならない場合だ。だから今日は朝からその時間まで「嫌だなやりたくないな」「ムカムカする」「なんてつまらない日なんだ、この苛立ちを慰めるものさえ見つからない」という鬱屈とした気分になっている。苛立ちを慰めるにも専業主婦の家事1つにコスパよくバランスのよい褒美は見つからない。茶の一杯とか菓子の一つさえ作業的になりつつあり、自分を癒すような感覚が自力で作れないのだ。専業主婦なんだから家事くらいしろ、なんて言われそうな話であるが、ストレスで調子を壊すと雪崩のように他の家事のタスクにまで危害を及ぼすので、これもあくまで家事の悩みなのだ。自称キラキラ系やら意識が高い系やらが日々に感謝しながら生きればいいと言おうとも、私は感謝の押しつけが家事よりも嫌いなのでしたくはない。雨も降るし近々台風だってやってくるから、当分はこの鬱屈とした心地になりやすくなるんだろう。