すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

歪な境界

私は二次元と三次元の壁が人より崩れているらしい。正確には私がそう思っているだけらしいのだ。正義の味方が守ってるわけではないとか、二次元だから巨大な生き物やロボットが動いていられるとか、魔王やゴジラが責めてくるわけではないとか、お金がなくても生活出来る文明に至ったとか、学園が平和だとかハーレムだか逆ハーだか、女の子にカーストがなくて和気あいあいとしているとか、そういうことは二次元として分別がつく。

これが精神の話になった途端、二次元と三次元という壁が突然あやふやになってしまう。画面越しの思想は自分を責めてきているような気持ちがどうにも収まらない。

 

揃いに揃って会話が得意なわけではない我が家では常にテレビがついていた。母は会話下手の癖に食卓に会話がないと難癖をつけるのでテレビに反応をして雑談していた。テレビを見るなんてよくある家庭の日常である。しかしテレビ内で何か立派な功績だか努力が実るような話が始まると決まって父が「お前もこういう人間を見習うんだ」と言い出すのである。私はテレビを見る度に心の中で「またこの子と比べられて自分は駄目だと思われているんだろうな」と心が常にチクチクと傷んでいた。そんな日常が知らず知らずのうちに、他人と自分の境界をあやふやにしていった。他人の個性や長所が私に侵入して、私を攻撃するようになったのだ。それが画面越しのキャラクターであろうと自分を責めているような気がする。だから私は作品を見る度に攻撃されるのではないかと警戒して疲れ切ってしまうし、自分と正反対のような人間が出ると自分の存在を否定されたような心地になってしまう。どうしたらこうならないのか、身を守れるのか、そもそもない攻撃をある者だと思っている状態がどうしたらいいのかよくわからない。

 

食卓に会話があるべきなんて上辺だけまともにしようとした普通という呪いのようなものを私はあらゆるもので受けてしまっている。少なくとも私にはもう普通に見て普通に感想を語ることは出来ないのだろう。