すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

愛着障害と私の頭の中

愛着障害が話題になっていた。

こういうときに人はすぐ自分が自分を助けると言い出す人間が出るが、愛着障害で安定した自己があるとも限らず、安心がない場で本人が目指す方向性は見つかるはずもなく、当たり前のようにカウンセリング出来る金銭的余裕があるわけでもない。
保険診療外の技術を何度も活用しなくてはならないのに、不安定な人間にそこまで出来る金が払えるわけもない。世の中じゃトラウマは存在しないと言いだすアドラー心理学は流行る始末で、躁状態になった愛着障害者や支援者がマウント取り出すのである。居場所作りなんて言ってられるほど落ち着いた場所なんて本当にあるんだろうかと思わずにはいられない。
愛着障害は治るって言葉だけ広まっていくのは本当に迷惑だ。薬があるけど1億円とか、治りはするけど1%みたいなものを「治ります」と広められて、なんで治せないの?努力が足りないんじゃないの?と言われるのが本当に苦しい。私だって、お金と怒鳴ってこない医師が確保出来たら気になる手法はいくらでも試していきたいが、すべての人間が恵まれているわけではないのだ。なぜいつもこの恵まれている人間のせいで人から傷つけられるのだろう。人の長所も短所も、私を傷つける凶器になってしまうのだろう。

こうしてブログを書いている途中で言うのも変かもしれないが、夫には私の言葉には意味がないと言われている。固定されてないからだ。その時の気分でコロコロと変わるらしい。私自身が私の頭の中にある言葉を信じないようにした方がいいとも言われた。身体も常にダルダルとした動きで魂が宿ってないようだとも言われている。私は言語を制限したほうがいいのかもしれない。