すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

暦年の試し行為と行動原理

物心ついた時には試し行為やっていたので無自覚だった

私は非常に気まぐれとか統一性がないとか自分がないと言われている。

「たくさん手伝って褒められたい」という時と「こういう時に自分を選んでくれるだろうか」ということと、「何かをして得た優しさなんて条件付きの愛ではなく無償の愛が欲しい」という三種類が、無自覚にころころと変化していることが理由の一つなのではないのだろうかと思う。

 

しかし手伝おうとすれば役に立つことは限られキリはなく、刷り込みで自分が選ばれないトラウマには取りつかれ、無償の愛を求めるあまり努力を敵対視するというややこしいことになっている。全部人の目にどう映るかであり、自分がしたいことを尋ねられるとただ「安心したい」の一言だけ出てくる。

 

ただ安心する方法を私は知らない。底なしのバケツに水を溜めようとするような途方のなさがあるが、私にはもうこのバケツの底を変える方法も、別のバケツを探す方法もわからなくなってしまった。私はただこのバケツを沈められるほどのオアシスのような場所が欲しくてたまらない。

にほんブログ村 主婦日記ブログ ひきこもり主婦へ
にほんブログ村