すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

母の呪詛

他の人間がいる数だけ捨てられる。世間の人相手なら交通事故にあっても轢かれた私に轢いた人への謝罪を要求しそうな母と暮らす中で、外への恐怖は増していった。

 

大勢のコミュニティに不安を抱くのは、絶対に自分はいらない物にされるという刷り込みから出来ているのだと思う。どこか、私だけ必要としてくれるような、私以外をいらないと言ってくれるような、そんな場所に憧れて私は結婚した。そんな私に母は呪詛のように「二人きりになれる場所なんてない」と言ってくる。どうして母は私に普通になって欲しいという癖に、私から安心感を根こそぎ奪おうとするのだろう。初めて母と夫が顔合わせした日にだ。この母は何を言っているんだろうと思った。幸せになって欲しいと母の面を被る人間が、何をどうしたらこんな発言を出せるのだろう。こんな者がなぜ夫婦という関係を持っているのか、気味が悪いと思った。父との関係さえ、世間体の為なのだろうか。この家庭はどこまで母の作った世間への見世物小屋なんだろう。

 

そして私が不安障害になった理由も、親戚が統合失調症になった理由もなんとなくわかった気がした。母のそばにいると常に世間という無数の目が向けられているような気持ちにさせられるのだ。常に「明るくて笑顔で前向きで人を許す」という人でない何かを求められる生き地獄に私は生きていける感覚を奪われてしまった。自分はいつでも価値がなくて、周りの人には価値があって、だから周りがやったら許されることが私には許されなくて、周りの人はいくら私を傷つけてもいいけど、私は誰も傷つけるどころか不快にもさせちゃいけないという事実が、自分の感情に対して安心していられる余裕も、他人の感情から身を守る手段も完全に奪ってしまった。

 

母から逃げたい。家から物理的には逃げたのに、どうしたら解放されるのかわからない。自分を安心させようと行動したり、行動することを想像すると、普通になろうとしたどこまでも頭のおかしい母と似てしまうのではないかと恐ろしくなる。反対側に、反対側に行かなくてはと自暴自棄になりたくなる。