すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

コンプレックス

やることが腰痛で限られている今、鬱屈とした考えが常に頭を巡っていた。

 

私には家がある。子供の頃はなかった。形だけのハリボテだった。ハリボテの家で常にいい子の役を求められた。私にはそれがとても辛かった。性格が悪いと言われてきたからか、いい子になろうとすると無理に演じるような気持ちにどうしてもなった。

今は家を出て夫と結婚したので家がある。今度はちゃんとした家だ。無理に演じることもなくなった。

しかし親から植え付けられた自己否定感からどうしても逃れられない。私を大丈夫だと言ってくれる何かが欲しい。だけどすぐにパニックを起こす私に積み上げていける物は何もない。外に出てもこんな自分はどこにいても足手まといになるとか、習い事をしようともきっと人より物覚えの悪い私は講師にも嫌われてしまうだろう。などといったことをどうしても考えてしまうのである。

 

何か自由にやりたいことが出来たらよかったのに、私にはもうそのやりたいと思っていいものが何かさえわからなくなってしまった。何なら安心して出来るのだろう。とにかく人が怖くて、外で出来ることが考えられない。外を信じようとするにはあまりにも、否定された事実が多すぎる。人災のような出来事や裏切りが多すぎた。