すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

どうも、バカです

 

お気持ちヤクザ、繊細チンピラなどあらゆる名のついた現象。私は本人にまで殴り込みはなくともこれらに誰よりも当てはまっている人物であるような気がする(例の場合は本人にまで噛み付いてる事例が少なくないらしい)言い訳がましくなるが、こうなった境遇を語りたい。何故なら犯人の供述、誰かの過去話が私は大好きだからだ。常に頂く側でいるのも申し訳ないのでここに書かせて欲しい。

 

私がその見方をはじめたのは小学生の頃だ。父は頻繁にテレビを見ると「そうそうこういう人を見習いなさい」と言ってくることが口癖だった。そう言われると楽しかったテレビが教材になっていく。憧れのキャラクターも見習わなくてはいけないと事務的な存在になっていく。周囲が比較に使われるものさしになっていくのだ。

父はテレビでニュースを見ると「なんてやつ!○刑だ!」と熱くなるタイプだった。本当に極悪非道な事件もあるので私は「そうだね!こんなの酷すぎる!」と語っていたのだが、そこで母が「人に対してそんなこと言うものではありません」と言ってきたのだ。私は心の中で「ハァ?殺人事件でそんなこと言うのか?」と疑問に思っていた。

母はこの「人を悪く言ってはいけない」を感情抜きでやる自分を人間だと思っているロボットのような人間だと気がついたのは最近のことだ。

私がいじめにあって苦痛を語ろうと、カウンセラーに突然怒鳴られようと「人を悪く思うなんて貴方は悪い」「貴方にも責められる理由はあるんじゃないの」「相手に失礼」と頭ごなしに責められてきた。私は相手の明確な悪意も親身に受け取らなくてはならず、気がつけば精神疾患を発症していた。

その頃にはうつ状態により自分は駄目なんだという感覚が常にまとわりつくようになった。自分に暴言を吐いてきた人間にまで母は相手は間違っていないというのだ。親が暴言を認めているようなものである。ここまで来ると生傷をむき出しにした状態で相手の言葉を抱え込むように受け取ることしか出来なくなってしまう。

他の人が気にするなと目をつむったり、相手がおかしいと疑うことが許されないというのは、フグの毒を取らないで食べるように危険な行為だったらしい。

 

私の父と母はバカを育ててしまったのだ。

面白いものを受け取るはずの手で、苦しいことを抱える手を作り、

母の事なかれ主義による麻痺させなさいと刺された注射針で、

注射アレルギーのようになった身体は励ましの言葉でさえ痛む。

こんなぐちゃぐちゃ状態の自分はなんてことない人からしたら「ただのバカ」

私はもう自分を守る方法が、見つけられない。

最初から言葉を避ける以外ないのだろう。