すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

前向きを憎む

私は前向きな発言が嫌いだ。冷静に考えると前向きな考えを無意識にしてたり賛同するようなこともあると指摘はされる。だから正確に言うと前向きであることを押し付けられることが嫌いなのだ。理不尽なことを不快にならずに受け入れろと言われることが嫌いなのである。前向きというものに救われたのではなく殺されたことのほうが多いのだ。

私は前向きな人間にコンプレックスを持っているようで持っていない。聴覚過敏でいじめにも合った私が今更賑やかな人間と一緒にいて楽しめるとも思っていない。

それでもプレッシャーを感じるのは毒母のコンプレックスを背負わされているからなのだ。毒母は自分の内向的な部分が好きではなく、外向的であることを自他問わず押し付けてきたのである。その影響で家でずっとゲームしてもよいところを公園に出向いてゲームをしたり、PTA活動でクリスマス会の準備をしている母から「貴方はクリスマス会に参加しないのに私は準備しなくちゃいけないのね」と小言を言われてクリスマス会に参加するようなことになった。

私は前向きという押し付けに疲れ切っている。前向きという概念に拒絶反応とかノイローゼのようなものを抱いてしまったのだ。