すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

今日のインターネットの言葉「脱コル」

脱コルとは化粧をやめて脱毛もせずに髪は短くすることらしい。男性の奴隷にならず自由に生きることが目標のようだ。

最近は32歳腐女子の話題でもそうだが女性の化粧に対する意識への語りかけが随分増えたような気がする。

私自身は極端すぎてスキンケアさえしていない。学生時代の方がよっぽどスキンケアをしていた。今や転落人生、ひきこもり日光に当たる時間は多くはなく、化粧していない。
それでも頬がたまにヒリヒリするので心地よさを捨てるようなことになるならスキンケアすることも自分のために生きる形になるのかもしれない。ちなみに心地よさを求めてパックをつけてみたらヒリヒリした。ここ最近はLDKでお墨付きの肌ラボ泡洗顔の保湿効果のおかげか気候による湿度のためか痒みはない。冬になる都度肌が乾燥してしまい塗りたくもなるが夫にスキンケア用品が激しく嫌われているという条件でつけることは困難になっている。保湿力の高い洗顔やボディーソープはどんどん増えていってほしい。そしていつでも適度な湿度に恵まれて生きたい。

脱毛は全くしてない。高い。それ以上に痛い。理不尽に痛い。金払って痛い目に合うなんてあまりにも辛い。2回くらいでキャンセルをした。もう8年は前になるのでもしかしたら今は痛みが和らいでるかもしれない。あれを女性のマナーにされるのはきつい。全身脱毛している女性の痛みへの強さには頭が上がらない。

悪い意味で日本顔の私は髪の長さがどうなろうとツッコミどころ満載になってしまうらしく正解はないのだが、最近になって鎖骨くらいの長さにしたらそれはもうサラサラと快適で上側で結べば髪が肩にも触れない心地よい髪型になった。長髪が好きではあるが傷んだの長髪をぶら下げるよりは今の髪型の方が現実的なんだろうと思う。トリートメントの減りも以前よりは落ち着くといいなと思っている。頭皮の心地よさを思うと剃ったら快適なのだろうがそこまで踏ん切りがつかない。坊主は頭が冷えて風邪を引きやすくなるそうだ。

私も美人に生まれてたらもう少しセルフケアに余念がなくなってたのかなと思いつつ、冷静に考えると美人なら虐げられるリスクも減って精神疾患になることがなくもう少し職につく希望があったのだろうかと未知数なことに思いも馳せる。

歳によるガタのストレスにより嫌でも何か身体のメンテナンスをすることになるのでやるかやらないかの選択出来るのはまだまだ若い証拠なのだと感じるアラサーであった。