すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

発達障害と「普通になって」の呪い

ドラクエ中に親に殺されたことで当時は話題になっていた事件。最近裁判があったらしい。そこで「アスペルガーを産んで申し訳ない」という言葉があった。私も同じようなことを親に言われたことがある。「普通に生んであげられなくてごめんね」という言葉だった。

当時は高校での多大なストレスにより障害手帳を貰い、就労移行支援で暴言、デイケアのある医院でも暴言と社会に登ろうとした足を両足とも突然釘で刺されたような仕打ちを受けて行く先を失っていた時だった。家は築20年ほどでどれほど家の改築に金を出すかを考える状況だった。

コンロの買い替えで「働いてさえすれば」と父がこぼしたのを聞いて私が泣き崩れたり、私がパニックになり大量服薬を飲んでいる中で母から「またそんな意味のないことをして馬鹿じゃないの!」「あーあーまた迷惑かけて」と罵倒されながら私は「ごめんね」「ごめんね」「生まれてこなきゃよかったね」と薬をまた薬を飲むような生活だった(自然回復したので病院に運ばれるほどは飲んでおらずだんだん罵倒に疲れて水を身体が冷えて痛むほど大量に飲む自傷行為に変更した)。そんな身なので親に刺された被害者に対してはかなり同情しているというか「私みたいな人間が母親のような人間に殺されてしまったのだな」と同一視までしつつある。中学から通院しているところにも同じだ。ただ今よりも発達障害への対応は酷かったのは確かだろう。今でも十分酷い。

そんな環境から婚活なんて他力本願な手法で脱出いた今、「普通に生まれれば」本当に普通だったのだろうかと思うことがある。今も☆1のレビューを書き込まれ続けている病院に適応するのが普通だったのか?怒鳴ってくるカウンセラーに母の言うとおり「いつも話を聞いていただき感謝しています」と逆カウンセリング状態になってウンウンうなずけばよかったのか?小学校の頃の名前によって始まったいじめを母の言うとおり「私が発達障害であるばかりに不快にさせて申し訳ございません」と許すのが普通だったのか?社会のサンドバッグになることが正解で他は間違いだという母の普通って恐ろしく異常なのでは?と感じるようになった。今までは本当に親からのあなたは駄目の擦り込みがひどすぎて「みんなには許される何か見えない長所があるけど私は完璧になるくらいじゃないと駄目なんだ」という自己への無価値観だけがあった。今はそのことに対して明確な憎しみがあり、それがそうさせた世の中にまで敵意を抱いている。

社会ではこの被害者の両親が同情されていることに私はかなり信じられないという気持ちになっている。少なくとも私の親はいきなりステーキによる目が笑ってないくらいのこじつけで否定をしてきた。この被害者もどこかでそういう理不尽を当たり前のように貴方が我慢すればいい、社会の中にいる普通が出来たら貴方自身はどうなってもいいとされてしまったのではないだろうか。