すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

加害者よりも加害者だった母

本屋を通過したら中川翔子の本があり、帯には少なくとも被害時は何も悪くないと言う話があった。私は悪くないともっと誰かに認めてほしいという渇望に人生を狂わされた人間の一人だ。

母は私が先生に言いつけるのが悪いと言い出した。私一人に我慢しろと言うのかと私は怒った。加えて父が先生に言うように提案したのが悪いと家族を攻めたとき、あまりのわけのわからなさに私と父は顔を見合わせた。

次には私が発達障害の診断をされたことをいいことに、何か悪いところがあったんじゃないかと言ってきた。転入してきてそうそう、当日の自己紹介の後に話したこともない相手から罵られて一体何をすることが可能なのだろうか。

しばらく経つと相手も発達障害だから仕方なかったと言ってきた。数年前の私には発達障害だから悪いと責めてきたのに、加害者には仕方がないといった。

そんな理不尽があってか私は道徳的な話をされるとタンスに小指をぶつけたようなリアクションをしてその場から逃げ出す。息苦しくて記憶をぶり返してイライラしてしまうのだ。

そして私は自分が悪くないという証明に常に追われるようになった。人がいると常に自分が悪いか確認されてる気がして、一人でいないと安らがない。加害者の小学生の思いつきそうな暴言の数々よりもそちらの方がよっぽど苦しい。私の人生、どこに捨てられちゃったんだろうなぁ。