すべてが半端

推しが曇って飯がうまい

家出少女が家出した頃の年齢の私

※センチメンタル

 中学に社会のレールから私が外れた時からすっかり節約生活になった家で私は当然ながら肩身が狭く、家では元気に振る舞わなきゃと思っては落ち込んだり無理に手伝おうとしては母の指示に硬直して動けなくなったり(そんなんじゃやっていけないと言われ失敗経験がより増える)、薬を大量に飲むような日々が続いていた。社会のレールに少しでも戻ろうとすれば支援職の人たちからはなぜか怒鳴られた。

友達の家に遊びに行く家もなければ泊まる家もなく、もちろん金もない分際で私の片隅にはいつも家出の文字があった。幼少期から他力本願で拐われたいことばかり考えており、学生時代も青少年の深夜外出制限時間を避ける範囲でフラフラと一人で辺りをふらついて拐われないかなと思いながら健全にウォーキングして帰宅しただけになっていた。

それも高校生になると年上の男性に優しくしてもらえる場所がある、自分にももしかしたら優しくしてもらえるかもと思いながら「1回にもらえる金額以上の金を性病に払うなんて勘定が合わない」「周りのルックスを見ろこのレベルでそんな扱い受けられると思うか?」という損得勘定と罵倒で押さえつける日々だった。性病がないともう止まる理由はないし、貧困であれば金額の勘定をする余裕もないことだろうし、顔がよかったらどうなってたんだろうか。そもそも顔がよければ不登校になるほど虐げられなかったのではとかいろいろ考える。

高校の頃はあまりに引き金を引きそうだったのですね毛を伸ばしっぱなしにし、同級生から剛毛と悪口を言われて学校を1日休んだり脱毛サロンで激痛を味わい「商品にしていいのか?」と驚愕したりした。電車に脱毛の広告があっても無毛になるのは楽ではない。

そんな私の心の支えになったのは紛れもない夢小説である。推し自分の為に猫の恩返しの鼠を持ってきた猫のごとく亡骸(自分でも他人でも推し自身でもいい)を積み上げてくれたり情緒不安定になってくれることに心が癒やされるようになった私はあらゆるジャンルでサイトのタイトルとデザインからある程度自分の趣向に合う小説か判断出来るようになるまで読み漁った。嫌いな奴がいて気がおかしくなった時も携帯小説を開けば「推しが積み上げる亡骸のネタくらい残してやろう」という気持ちになれた。その時の顔を見られてから気を遣ってくれた男子から何も話しかけられなくなった。風呂の中で読むものだから湯気で防水携帯が壊れることもあった。誰も支えてくれない中で夢小説だけが私を止めてくれる存在だった。

そんなことをしているうちにも日に日に自分の存在への罪悪感は積み上がり、学校は精神病を抱えて卒業、福祉からも粗雑に扱われ、何か学ぼうとすれば行き詰まる都度呼吸が苦しくなりそれどころではなくなった。昔は頭の悪い人たちが身体を売って稼いだという話をどこかのビジネス誌のサイトで読んだ時は自分もそうしなくてはいけないのではと風俗サイトの求人を読んだりチャット先で月30万の愛人契約を持ちかけられた時は了承するか頭を抱えて(もっと顔がいい人が世の中たくさんいるからごめんね)と断ったりした。

結婚するとそんな欲望との格闘に終止符が打たれたが、自分の力で生きてないなって無価値感は変わらず、外に出るとひどい目合うのも相変わらず。今日は憂鬱感が止まらない。ただ当時と違ってちゃんと帰る場所があることは確かだろう。